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保育園の懇談会があった。
13時から1時間ばかりの懇談会で年に2回開催される。
内容は食事や遊びなどの現在の保育内容と、今後の保育目標の話があり、その中で園内での子供の様子を聞かせてもらえる。
私はこの懇談会を楽しみにする反面、憂鬱でもあった。
18人の園児がいる中、4人のお母さんが産休、育休中で、そのうち2人は12月に赤ちゃんを産み、1人は臨月近くお腹が大きい。間違いなく2人目の話題や兄弟姉妹との関わりに関する話で盛り上がるに違いなかったからだ。

会社を午後半休し、お昼も食べずに少し遅れて駆け込んだ保育園の部屋にはずらりと並んだ14名のお母さんと2人の乳児。
時折、乳児特有のかわいらしい泣き声をあげていて、お母さんは誇らしげに赤ちゃんをポンポンと叩いている。
今年度新しく入って来た子はみんな上にお兄ちゃんお姉ちゃんのいる子ばかりで、早くもクラスの中は一人っ子の割合が激減した。
懇談会は無事に終わり、ナナコを連れて帰ろうとしていると、「少しお話して帰ろうよ」と時々会うお母さんに呼び止められ、寒い中近くの公園で立ち話することになった。

公園での立ち話をしたのは私を入れて7名のお母さん。
このうち4名は妊娠中か、第二子を出産して育児休暇中。
専ら話題は、仕事の復帰と第二子の保育園をどうするかに集中した。
私が住んでいる地域は待機児童が多いので、希望どおり保育園に入れるとは限らない。
第二子だからといって必ずしも同じ保育園に入れるわけではない。
後で知ったことだが、同じクラスのお母さんは意外とパート勤めの人が多いようである。
私より後に保育園に子供をあずけ、私よりも早く迎えに行けるのもよく分かる。
第二子を妊娠していないお母さんも、いずれは第二子を産むつもりだし産めるものだと思っているようで、次の子のために自分はこうするつもりだという人生プランを朗らかに語って聞かせてくれる。

なんだか私はとても居心地が悪かった。
まるで言葉の通じない異国の中にぽつんと置かれたような気分だった。
誰も仕事と育児の両立について悩んでいる人はいないし、時短勤務をいつ通常勤務に戻せば良いかとか、第二子が出来なくて悩んでいる人もいなかった。
同じ2歳児を持つお母さん同士なのに、2歳児の子育てにどんな工夫をし、どんな苦労をし、どんなことが出来て可愛らしいか、どんな行動が腹立たしいかを自慢したり愚痴ったりするような会話は1つもなかった。
みな、我が子を公園で遊ばせたまま、次の子の話ばかりだった。
なんで私、この場に来ちゃったんだろうなぁ。

1時間弱も公園で話をしてやっと帰宅した。
みんなが妬ましいということはない。
ただただ、みんなが簡単に手に入れられるものが、自分の手に入らないことがもどかしく寂しかった。
ナナコの存在だけが私を癒してくれた。
ナナコは他の子より小さいし入園した頃は泣いてばかりだったので、他のみんなはその印象が強いようだ。
でも、ナナコは公園の大きなすべり台にも一人で登って降りるんだよ。
絵本だって丸暗記している箇所がたくさんあるんだよ。
おむつなんて保育園ではもうほとんど外れているんだよ。
スゴイでしょ?
そんなことを誰かに話したかった。
そんな話題を共有したかったんだけどなぁ。

でも、子供との関わりがある限り、この先も第二子、第三子の話題は避けて通れない。
悲しいし悔しいけど、これが現実なんだからしかたがない。自分は自分なんだから。

とはいえ、ため息ばかり出てしまった。
頑張れ、私。負けるな、自分に。
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いろいろと書き留めておきたいことがたくさんあるのに、あと数分で2012年。
年の瀬はあっという間に駆け抜けていくけれど、多分、クリスマスで浮かれたあとに突然やってくる年末の慌ただしさのせいではないかといつも思う。

今年の最後の通院が終わってしまうと私に出来ることは何もなく、ナナコだけに十分に愛情を注いで、これでいいのかも、という思いと、どうしてもナナコに兄弟を作ってあげたい。戦場のように大変で、私は毎日子供を追い掛け回し、そして賑やかな家庭にしてみたい、という思いが交錯する。

今年の一番大きな出来事は、3月11日の震災だった。
日本にとってもそうだったように、私も震災後がとてもとても、とても辛かった。
そう。あれは4回目の採卵を試みて、排卵済みで終わってしまい、そのせいかどうか体調を崩した直後の地震だった。
計画停電の影響で、仕事も育児も不妊治療もどれ一つとして思うように出来ず、自分の無力さを思い知らされた月日だった。
仕事のことだけ考えて過ごせたらどんなに楽だったか。
ナナコのことだけ考えて過ごせたらどんなに幸せだったか。
もてる時間の全てを臨戦態勢で不妊治療に望めたらどんなに良かったか。

精神的にひどいストレスだった日々も終わり、夏になり、秋になり、冬になった。
転院もした。
漢方薬に加えてさらに高いお金で瓊玉膏(けいぎょくこう)も試みた。
いつまでたっても採卵した卵は分割まで進まなかった。
それでも最後の最後に胚盤胞まで育ってくれた。
私の小さな小さな小さな希望。

年が明けたら、迎えに行くよ。
お願い。
私たちの元に、夫とナナコと私のところにやってきて。
絶対に幸せにするよ。
神さま。お願い。

うちには、野良猫に限りなく近い猫を1匹飼っている。黒猫なので名前は「クロ」である。
もともと黒猫が好きだった私が、当時、まだ野良猫だったこの猫に餌をやり始めたのがきっかけでいつの間にかうちの猫になった。
もとが野良猫なだけに家猫になるわけもなく、家の中に閉じ込めておくと「外に出すにゃ!縄張りが気になるにゃ!」とニャーニャーうるさい。猫というものがあんなにうるさいものだとは思わなかった。
そんなわけで、今となっては餌の時と夜寝る時だけ家の中に入り、日中は外で過ごすという気ままな猫だった。

ナナコが生まれる前までは、リビングにも自由に出入りし、飼い主の膝に乗ったりしてかなり可愛がられていたのだが、ナナコが生まれたのをきっかけに猫と人間の居住空間を分けることにした。
クロは外猫なので決して清潔とは言えず、乳児だったナナコに近づけさせたくなかったことや、私自身がアレルギー持ちだったことなどがある。
突然、可愛がってもらえなくなったクロはしばらくうるさく鳴いた。
でも、半年、1年とたつうちに自分の立場を理解したのか、リビングに入れてくれと鳴くことも少なくなった。
居住空間が分けられたことにより、私たちと触れ合う機会も激減した。

ナナコが1歳半を過ぎて、普通に歩いて家の中をどこでも自由に行き来できるようになると、クロに興味を示してヒゲをひっぱったりクロに乗っかったりした。
にらめっこのつもりか、「アップップ!」と言ってナナコはクロの顔をつねったりした。
それでも、クロは迷惑そうながらも逃げもせず、引っかいたりもしなかった。えらい猫である。

この猫が今、死の直前にいる。

10月の初めに具合が悪くなって病院に行き、肝臓が悪いとのことで肝臓の薬を飲んで一旦は回復したものの、10月末に再び餌を食べなくなり、ぐったりして外にもでなくなり、とうとう水を飲んでも吐き戻すようになった。
病院に連れていくと急性の糖尿病を発症しているとのこと。
肝臓が脂肪肝に変わって、その炎症が膵臓、胆のうにまで広がり、全く機能していないらしい。
この数日が命の分かれ目だそうだが、仮に助かっても慢性の糖尿病になってしまうと死ぬまでインスリンの注射を打たねばならないとのことで、それはそれでちょっと・・・、と悩ましいところである。

ナナコが泣いている時でも、オムツ替えで手が離せないときでも、授乳中で立ち上がることも出来ない時でも、空気を読めないクロはニャーニャー鳴いた。
正直言って、「猫は元気が留守がいいな。」と思っていた。
でも、実際に生きるか死ぬか?
そんな状態になって、初めて「クロ、生きて欲しい。」と真剣に思った。
入院中の病院の先生には「あとはクロちゃんに生きる力があるかどうかです。」と言われた。
ずっとここ数年、ぞんざいに扱ってきたのに、クロは生きてまたおうちに帰りたいと思うだろうか。

私はずっと2人目の赤ちゃんが欲しいと思っていた。
その気持ちに変わりはないのだけれど、今あるものを失ってまで2人目が欲しいとは思わない。
ナナコや夫を失ってまで欲しいとは思わない。
猫はいずれ、必ず人間よりも先に死ぬので、しょうがないと思っていたけれど、いざその状況におかれてみるとクロも立派な家族の一員だった。
今あるものを失う辛さは、欲しいものが手に入らないことよりも辛い。
「何かを失えば新しい何かが手に入る」と言われるけれど、どうしたって失うことは怖い。

クロは今、入院中で1日中点滴をしている。入院して3日たつが回復しないらしい。
クロ、頑張れ。

10月は怒涛のような日々だった。

仕事が変わり、不安と緊張の生活の中でいきなりのナナコの発熱。
飼い猫の体調不良。
部下の研修に使う上司からのお手紙の執筆。
情報処理技術者試験。
そして、会社の昇格試験の論文作成。
間を縫って通院と採卵。

昇格試験の論文の提出期限が10/28だったが、次の通院までには全てを片付けてしまいたいと思い、
ここ数日、夜中まで起きて頑張っていた。
今日、10/27にD4でのクリニックの通院を予定していたため、この日までには提出しようと思っていた。
なんとか27日の朝に提出したのだが・・・。
昨日の夜から体調が悪く、咳が出始めた。
その前までは風邪をひく要素など何も見つからず、元気いっぱいだったのだが突然、症状が現れた。
どうやら、数日前にひいた夫の風邪がうつったらしい。
27日は朝から少し気だるい気がしたが、論文を提出したかったし、会社帰りにクリニックにも行く予定だったし、
仕事でも午前中に予定が入っていたので、休まずに会社に行くことにした。

ところが、会社について午前中の打ち合わせの途中から猛烈に体調が悪くなり、ひどい眠気に襲われ、
頭痛と吐き気と倦怠感で座っているのさえも辛くなった。
打ち合わせを途中で離席し、自分の席に戻るも、もう辛くて辛くて辛くて。
クリニックに行く予定だから、ここで帰宅してまた通院のために外出するのは嫌だったが背に腹は変えられない状態で、午後半休して帰宅することにした。
帰宅するまでのお昼までの1時間がまた長くてね。
立っているのも歩くのも辛くて、本当に自宅までたどり着けるのか?
なんとかかんとか朦朧としながら自宅に帰った。
服を着替えるのも、布団を押入れから出すのも一苦労で、スカートやコート着たまましばらく寝てしまった。
熱を測ると39度3分。
何も食べていないから薬も飲めない。
薬を薬箱に取りに行くのさえできなかった。

こんな状態でクリニックで血液検査したら、めちゃめちゃFSHが高そうだな・・・。(←根拠なし)
そんなことも思ったが、そもそもクリニックに行ける状態でもなく、また力を振り絞って携帯電話を取り出し、クリニックに今日の通院はキャンセルする旨を伝えた。
すると、「では、今日がD4なので、今周期はキャンセルしますか?」と言われた。
えぇぇ、それはそれで困る。
でも、今日は通院があるから夫に早く帰宅してもらってナナコのお迎えを頼んだのだった。
今日は私の体調不良のために早く帰宅してもらって、明日は通院だからまた早く帰宅してナナコのお迎えをお願い、とはとても言えない!
結局、D6にあたる10/29(土)に変更してもらった。
どうせセロフェン飲んでも効かず、完全自然周期になるのだからD10くらいに行くのでいいじゃん、と思ってしまうのだった。

そんなこんなで、やっと終わる10月の幕切れもぱっとしないが、ナナコにこの風邪がうつりませんように、と願うばかりだ。
ナナコの場合、1回熱出したら3日は休むからねぇ。

夕方、今にも雨が降りそうなので、少し早めに保育園にナナコを迎えに行った。
途中で同じクラスのママに会って、2人で並んで自転車で保育園に向かった。

「3人乗せ自転車を買ったんだけど、この自転車は風よけがなくて寒そうでかわいそうなんだよね。」という会話から始まり、私は「3人乗せ」という言葉に少しビビって「そうなんだよねぇ」と言葉を慎重に選んだ。
私の自転車も3人乗せなんだけどね。
「2人目って、もう考えてる?」という問いに
来た来た、もしかして「私も実は赤ちゃんが出来たんだ」と言われるパターンか?と思い、
「そうだね~。欲しいとは思うけど、私はもう高齢だし無理かな~って思ってるんだ・・・。」
と、嘘のような本当のような、自分でも判然としないままそう答えた。
「ええ~!そうなの?そんなに年いってる??でも、今はみんなあまりそんなこと気にしないし、大丈夫じゃない~??」
と彼女は無邪気に答えた。
高齢だから産んでも育てるのが大変だとか、高齢で生むのは恥ずかしいだとか、そんなふうに私が言っているのだと思ったのかもしれない。
でも、本当に、物理的に、無理なんだもんなぁ。
そして彼女は続けた。
「私は、今はまだ2人目ってあまり考えてないんだ~。やっと育児も少し楽になってきたところなのに、またアレを繰り返すのか~って思うとね。それに、2人になると経済的にも苦しくなるし・・・。」
と言った。
とってもよく分かる!
ナナコもやっと、お喋りするようになって、ご飯ももりもり食べるようになって、放っといても一人で遊んでテレビを見て、お風呂の湯船に一人で入れておいても大丈夫になったのだ。
0歳児の大変さを考えると、また繰り返したくない気持ちはとってもよくわかる。
私も、自分がまだ20代や30代の前半だったら間違いなくそう思う。産むにしてもナナコがもっと大きくなってお手伝いもしてくれるようになってからかなぁって。
うんうん、そうだね~。とってもよくわかるよ!と答えながら保育園に着いた。

保育園には、妊娠8ヶ月のママさんと妊娠5ヵ月のママさんが談笑していた。
2人目が出来ると、途端に今の子供ではなく2人目の話題を多く口にするようになる。
次の職場復帰はどうしよう、とか、出産のとき上の子はどうしよう、とか。
だから、同じ妊娠中の人がいると話も合うんだろうな。
私はこの先、あの話の輪に入っていくことはないのかもしれないけど、自転車で一緒に保育園まで来たママさんの存在に少しだけ救われた。
2人目が当たり前みたいな風潮の中、そうでない人もいると分かったし、私自身、少しずつ現実を理解してきている。
ナナコ一人でもじゅうぶん幸せ。
もしかしたら、ナナコ一人のほうが幸せなのかもしれない。
何が一番幸せなのか誰にもわからないから、今の状態を最高の状態にするしかないんだよね。
プロフィール

kuromamma

Author:kuromamma
38歳で初期流産。
40歳で妊娠&女の子出産。
不妊治療の末、43歳でやっと男の子を授かりました。

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